「教会が求めたこと」 05.08.14
使徒言行録 4:23〜31
ペンテコステの日、一同は祈っていました。
そこから教会は始まりました。今日の場面でも一同は祈っています。
心を一つにする祈りによって、教会は始まり、進んでいきます。
ペトロとヨハネは、ユダヤの議会に捕らえられていましたが、
釈放されて教会に帰り、議会から伝道を禁止する命令(17.18.21節)と
脅しを受けたことを伝えました。教会は、大変大きな壁に直面したのです。
その時、教会は祈りました。
「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを
造られた方です。」(24節)これは、世界を本当の意味で治めているのは
誰かを見抜いている祈りです。自分たちを脅す議会やこの世の権力が、
世界を治めているように思えたかもしれません。
しかし、心をあわせてこう祈ることで、本当は神さまが世界を治めて
おられることを確認しあいました。このような祈りの中で、世界の見方を
一緒に確認しながら、教会は進む力を得ました。
「御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行った
のです。」(28節)主イエスの十字架という、悲劇に見える出来事にも、
神さまの御手が届いていたということです。世界が神なき世界で、闇が
治めている世界であるならば、足を踏み出すことは恐ろしいことです。
しかし、神さまの御手が差し伸ばされている世界であることを見抜き、
信じる者は、希望と信頼をもって一歩を踏み出せます。困難や壁に
ぶつかる時に、それらが世界を支配しているのではなく、造り主なる
神さまが世界を支配しておられることを見抜くべきです。それによって、
決して希望を失う必要がない事を知ります。
教会はこの祈りの中で、議会を呪ったり、逃げ出すことを求めたので
ありません。
御言葉を語ることと、キリストの名を届ける器とされることを
求めました。
教会は御言葉を語りキリストの愛を届けることで、迫害や困難の
壁を乗り越えて、前進していきます。